中世ヨーロッパ時代、宗教を普及させる目的で作られた写本は、装飾性を高めることで権威性を発生させていたと考えられています。
その中でイルミネーション装飾は写本を豪華に見せるためのデコレーションなようなもので、植物柄などを使って頁(ページ)に華麗な枠線を設けたり、文字そのものに装飾が施されています。
詩や段落の先頭に使われるイニシャルを豪華に装飾するようなデザインが多く見られ、フローリッシュと呼ばれる装飾線で彩られたものや、当時の状況を表すようなイラストが文字の中に絵の具で描かれています。
ケルト、ビサンツ、ロマネスク、ゴシック、ルネサンスなど、その時代の流行りのスタイルや建築様式などとも影響し合って装飾は変化していった言われており、それぞれの時代を表すような特徴を写本イルミネーションの中に見ることができます。
アカンサス装飾(古代ギリシャ,ローマ・紀元前〜5世紀頃)
古代ローマ時代の初期はキリスト教の影響がなく、写本というよりは建築などに装飾が多用されています。その中でアカンサスという植物を使った装飾パターンが多く見られ、のちのキリスト教写本の装飾にも使われることになるようです。具体的には飾り文字や写本ページ内の装飾デザインに多く見られ、「装飾」と言えば真っ先に連想されるビジュアルのひとつのように(個人的に)思います。
なぜ古代人がこの植物を装飾に多用したのかは分かりませんが、アカンサスを使ったデザインは古代ギリシャ・ローマ時代から長い間ヨーロッパで使用されており、中世期やルネサンス期を経て、近代、そして現代まで根強く用いられています。現代でもモールディング(※)の模様など建築の装飾などに使われているようです。
※モールディング・・・インテリアにメリハリや上質感を与える装飾的な役割の建材
19世紀の著名な装飾デザイナーであるウィリアムモリスも壁紙のデザインにアカンサスを使用しており、その影響からか彼が行ったアーツアンド・クラフツ運動から派生したとされるアール・ヌーヴォー(※)のデザインにもアカンサスは使用されています。
階段の手すりやミラーの枠、照明のアーム部分などの装飾にも見られ、このような19世紀後半から20世紀初頭の時代に繁栄したことで、現代人の目にもより馴染みやすく見慣れた装飾になっているようにも感じます。
このように長く繁栄するデザイン様式には人の眼を惹きつける何かしらの法則性があると推察され、現代においても覚えるべき装飾様式のひとつと考えられます。
※アール・ヌーヴォー・・・植物の有機的な表現を使ったデザイン様式。19世紀ヨーロッパ、主にフランスで流行した。
ジェームズ・ペイジのアカンサスを描くためのガイド
ケルト/インシュラー(中世初期アイルランド・6〜11世紀頃)
中世が始まると同時にキリスト教の普及が活発化し、キリスト教を普及させるための写本制作が行われていきます。古代ローマ時代には初期段階では迫害を受けていたキリスト教は、ヨーロッパ本土を離れた民族によってブリテン諸島(現在のイングランドやアイルランド)周辺で栄えたと言われています。
この地には元々ヨーロッパ本土にいたケルト民族たちが他民族に押しやられる形で住むようになっていたそうですが、彼らの信仰する宗教とキリスト教が融合する形でインシュラー(※1)と呼ばれる独特なスタイルを形成していったと言われており、アイルランドやリンディスファーンと呼ばれる島でケルト人の装飾が施された写本が制作されています。
8世紀頃に作られたと言われる「ケルズの書」や「リンディスファーン福音書」などがケルト写本として有名と言われており、ヨーロッパ本土ではあまり見られないデザインを見ることができます。ケルティック・インターレース、組紐文様、ケルティック・スパイラル(渦巻)などの独特な装飾様式や、文字や絵の周りを囲むドット柄などがこの時代のアイルランド写本の特徴と言えそうです。
※1:insular インシュラー/島という意味
※2:カーペットページ/写本の中で紙面全てが絵柄や装飾で構成されたページのこと
島のケルト文化は大陸側のローマとの関係がさらに悪化した事や、北欧の海賊ヴァイキングから修道院が襲撃を受けるなどといった外部要因で徐々に衰退していったと言われているそうです。
ケルト文化は衰退していきますが、キリスト教の普及と写本の制作そのものは拡大していき、ローマ帝国が東西に分かれ徐々に力を失っていく流れで、キリスト教はヨーロッパ本土に広がり、写本の制作もさらに普及していきます。
ケルズの書
リンディスファーン福音書
https://www.bl.uk/manuscripts/Viewer.aspx?order=b&ref=cotton_ms_nero_d_iv_fs001r
ロマネスク(中世 フランス・11~12世紀頃)
ローマ帝国が東西に分かれ滅亡した後、キリスト教はヨーロッパ全土に拡大していったと言われています。その過程で写本もさらに多く制作されるようになったと推察されますが、11〜12世紀頃に繁栄したと言われているのが「ロマネスク」と呼ばれるデザイン様式です。ロマネスクは「ローマ風」というような意味で古代ローマの美術様式を模したようなデザインです。絵はあまり写実的には描かれずデフォルメされたような表現が目立ちます。キリストの権威性を保つ為にあえて抽象的に描いているとも言われていますが、なぜ写実的に描かれないのか、その理由は定かではありません。
アカンサスが渦巻状に配されたような特徴的な飾り文字が多く見られ、これらは「チャネル(チャンネル)スクール」と呼ばれる装飾の流派とされています。すこしケルト装飾の名残があるような印象もありますし、この後に繁栄するゴシック美術様式の前身とも捉えられます。
Romanesque Ornament / ロマネスク・オーナメント
宗教建築・ロマネスク
ゴシック(中世フランス・12〜15世紀頃)
ロマネスク様式の次はフランスを中心に「ゴシック様式」が栄え始めます。この時期はキリスト教の権威性が最も高まった時期と言われているようです。
絵はロマネスク様式よりも少しだけ写実的に描かれるようになり、装飾もさらに豪華になっています。色彩は多用ですが赤・青・白の3色が目立つ傾向にあり、装飾に使われる植物は相変わらずアカンサスが用いられながらも他の植物アイビーなどが描かれた写本も多くあります。
イニシャルの装飾も多様で、ロンバルティック体と呼ばれる装飾的な文字にホワイトの絵の具で細かいハイライトを入れたイニシャルのデザインや、スタイライズドアカンサス(おそらく単純化されたアカンサスのデザイン)を周りにまとわり付かせるように装飾したフィリグリードイニシャル、また赤と青で文字を分割したデザインのパズルイニシャルなどゴシック期を象徴するようなデザインがよく見られます。
この時期の写本の装飾デザインには、どの植物か識別できるように描かれたものと、何の植物か一見しただけでは識別できないように様式化&単純化されたモチーフが混在しているように感じます。
ゴシック期の建築はロマネスク時代からデザインが変化し、窓などの開口部が広く設計されそこに配されたステンドグラスなどのデザインも多く制作されていたようです。そのような変化もあってか、写本や絵画そして建築が互いに影響しあって新しいデザイン様式を形成していったと言われているようです。全体的に荘厳なイメージで宗教色が強いのがゴシック期のデザインの特徴と言って良さそうですが、徐々に古代ギリシャやローマ時代の人間が主役だった時代へと逆戻りするような様式であるルネサンス期へと変化していくことになるようです。
The Ormesby Psalter / オームズビー詩篇
BL Royal MS 1 E IX 「Great Bible」 / 大英図書館所有 「グレイトバイブル」
https://www.bl.uk/manuscripts/Viewer.aspx?ref=royal_ms_1_e_ix_fs001r
French Illuminated Manuscripts
https://www.getty.edu/publications/resources/virtuallibrary/9780892368587.pdf
ベリー公のいとも豪華なる時祷書
・Psalter / ソルター:詩篇に挿絵や装飾をつけた書籍のこと
・Books of Hours / 時祷書:キリスト教徒としての信仰・礼拝の手引きが書かれたもの
・Floreate ornament / フローレイトオーナメント:様式化された植物柄の装飾デザイン(モチーフ)。植物柄で装飾されたデザインの総称を指していると思われるが、ゴシック期の写本においては例えばロンバルティック体で書かれたイニシャルをホワイトで曲線や植物モチーフ柄にハイライト装飾している部分などが当てはまると考察される。
ルネサンス(近世イタリア・15〜16世紀頃)
ゴシック様式が徐々に力を失っていく一方で、次はイタリアからルネサンス様式が繁栄し始めます。神を中心とした宗教主義はゴシック期をピークに徐々に衰退する一方で、当時のイタリアには東方から古代文化が流入したことや、強力な経済力を持ったパトロンたちが芸術家を支持した影響などが重なり、古代ギリシャ&ローマ時代の芸術文化を復興しようとする動きが活発化したと言われているそうです。
写本のデザインも、ゴシック期の荘厳で角張った印象は取り除かれ、書体もローマン体をベースとした読みやすい文字に少しずつ変化していったようです。挿絵を描く画家やイルミネーターも中世時代よりも写実的な絵画を描くようになり、リアリティのある人間の姿などが描かれています。
また宗教絵ではなく植物図鑑のようなリアルな絵が差し込まれた独特な写本「Mira calligraphiae monumenta / ミラ・カリグラフィア・モニュメンタ」などが登場し、荘厳で抽象的に表現されたゴシック期の表現を変化させる流れを作っているようにも感じます。
装飾に関してはアカンサスなどの古代から続くモチーフはもちろん、あらゆる植物柄がカラフルに描かれていて、美しいものは何でも取り入れようとする製作者たちの意思をこの時代の写本から感じることができる気がします。全体的に空想の世界観から目の前のリアリズムを追求するようになった印象です。
Farnese Hours / ファルネーゼ卿のための時祷書
http://ica.themorgan.org/manuscript/thumbs/77250
Mira calligraphiae monumenta / ミラ・カリグラフィア・モニュメンタ
・・・加筆途中・・・