紅茶の歴史・実はイギリス発祥ではない?

紅茶ってどんなイメージですか?

自分はふだん安いインスタントコーヒー飲んでますが、たまに紅茶を飲むとなんだか西洋の国に行ったような気分になってちょっと上品なイメージがありますね。

紅茶というとイギリスとか、なんか西洋の飲み物ってイメージが強いですが、実は紅茶に限らずお茶というものは基本的に東洋発祥なんですって。

つまり紅茶も東洋で作られたんですね。あんまりそういう認識ないんじゃないでしょうか。なんで紅茶ってイギリスのイメージが強いんでしょうね??

紅茶の歴史について調べてみたので書いていこうと思います。

目次

お茶は中国で作られていた

元々お茶は中国で作られていたそうです、初めて作られたのはなんと紀元前。

お茶ってそんなに昔からあるんですね。

最初はお茶の葉っぱそのものを食べたりしてたらしいですが、長く保存させるために加工したものをお湯で抽出して飲んだりし始めたのがお茶の起源だそうです。

そして9世紀頃に日本にも伝えられたそうですね。

お茶はツバキ科の植物から作られている

お茶は全て「カメリア・シネンシス」という植物から作られているそうです。これはツバキやサザンカと同じ仲間の植物です。

お茶ってツバキの仲間だったんですね。

ちなみにあくまでツバキ科ということで、そこらへんに生えてるツバキやサザンカの葉っぱを刻んで抽出しても普段飲んでるお茶にはならないみたいですが・・・。

イギリスで紅茶が普及したのは19世紀頃

そんなお茶が西洋に伝えられたのは大航海時代と言われる15・6世紀頃と言われています。

ずいぶん後なんですね~。紀元前から中国で飲まれていたことを考えると発祥から約2000年後に西洋に伝わったということですね。あれ?西洋って長い間お茶って飲まなかったんですね。

この頃はまだ紅茶というものはなく、日本や中国で一般的に飲まれている緑茶が西洋にも持ち込まれたみたいです。西洋人も最初は緑茶を飲んでたんですね。

紅茶はもう少し後に出てきます。

イギリスには17世紀頃にお茶が伝えられ、最初は貴族や中流家庭以上が飲んでいたらしいですが、ヴィクトリア朝時代(1837~1901年)には一般市民の間にもお茶が広がって流行したそうです。

西洋にお茶を初めて伝えたのは日本

ちなみにお茶を初めて西洋に輸出した国は、なんと日本だそうです。我が国だったんですね・・・。うーん、全然そんなイメージない。

ゆっても輸出した国はイギリスではなくオランダだそうですが。当時の日本はオランダと貿易が盛んだったんですね。なので最初はオランダ経由でお茶が西洋に持ち込まれたということになりますね。

イギリスでお茶が大人気に、しかし貿易赤字がかさみ・・・

さて、お茶が入ってきたイギリスでは当初、東洋のお茶は薬としての効用があり、飲むと病気が治ったり長生きできると信じられていたそうです。当時の西洋人にとって東洋というのは優れた文化を持った神秘的なイメージがあったみたいですね。

イギリスでははもともとコーヒーが飲まれていたらしいですが、そのような理由もあり、次第にコーヒーよりお茶を飲むようになっていったそうです。

異国の飲み物というような宣伝効果などもあるのでしょうが、次第にお茶はイギリス人にとって欠かせない存在となっていきます。

人気は出たが貿易赤字に

国内のお茶の需要と反比例して、イギリスは徐々に赤字になっていきます。

この頃日本は鎖国状態だったため、お茶の輸入は中国を頼っていたそうですが、イギリスは中国から高いお茶を買い続ける反面、逆にイギリスから中国に輸出できるものは少なく、次第に支払うお金の方が多くなっていったみたいですね。

自国内で生産ができない以上は中国からの輸入に頼らざるを得ず、お茶には高い関税がかけられ、価格は次第に高騰していきます。その他にも長い航海に出るための船や人員なども必要になってきますからね。

イギリスは中国に価格の交渉や、逆にイリギスから中国に輸出できるものはないか?と色々とお願いしていたそうですが、中国は聞く耳を持たず、「こちらがあなたたちから買うものは特にない」ということだったそうです。

困ったイギリスは中国にあるものを流し始めます。それは・・・・

阿片戦争で中国を打ち負かし、イギリスに有利な貿易を始める

正攻法では中国に輸出できるものがない、と思ったイギリスは中国に阿片(アヘン)を輸出し始めます。

阿片とは一種の麻薬みたなものですね。昔はモルヒネと同様に麻酔効果などがある信じられていたそうです。吸引した瞬間は痛みが軽減されたり気分が高揚しますが、次第に身体や精神を蝕んでいき、最後は死亡してしまう例もあったそう。

この阿片ビジネスによって中国から利益を得ることで、収支のバランスを取ろうとしたんですね。

しかし中国側がそんなことを黙って見ているわけもなく、大量の阿片を積んだイリギスの船の積み荷を港で燃やしてしまいます。

これに怒ったイギリスが(ほとんど言いがかりですが・・汗)中国に攻撃を仕掛け、上海などを占領してしまうという、いわゆる阿片戦争が始まります。

これに勝利したイギリスが中国に不平等条約を結ばせて、お茶を含めた貿易をもっと自由にさせるようにしたそうです。

ちなみに不平等条約(南京条約)の内容は

  • 戦争の賠償金
  • 燃やした阿片の賠償金
  • 香港の割譲
  • 上海を含む5港の開港
  • 上記の港での貿易の自由
  • 中国内での阿片の合法化
  • などだそうです・・・・。

    ・・・・・・

    すごい話ですね・・・・汗

    「紅茶」の誕生、イギリスの水に合うお茶を中国に作らせる

    上の様な経緯で貿易赤字から脱するきっかけを作ったイギリスは、その後中国に頼らず自力でのお茶の生産にも力を入れていき、インドのダージリンという地域でお茶の栽培を始めます。

    インド・ダージリン地方

    ダージリンを選んだのは中国のお茶の生産地と同じような気候だったからだそうですね。そのような場所を植民地の中から探していたということみたいです。そして見事お茶の生産に成功します。

    紅茶の誕生

    そんな中、同時進行で中国にはイリギスの水に合ったお茶の製造をさせていたそう。

    水って地域によって質が異なるそうで、イギリスの水は中国産の茶葉からのお茶の抽出にあまり向いてなかったんですかね?

    そんなこんなで中国がイギリス向けのお茶を試行錯誤で作った結果、紅茶が生まれたということみたいです。

    ちなみに緑茶も紅茶も、上で紹介した同じ「カメリア・シネンシス」というツバキ科の植物からできてるんですって。お茶っていろんな種類のものがありますが、基本的にはたった一つの植物から作られているんですね。

    違いは発酵のさせ具合だそうです。緑茶よりもさらに発酵させて作られてたのが紅茶なんですって。

    まとめ

    こうして作られた紅茶はイギリス国民の間で普及していき、国民みんなが紅茶を飲むようにまでなった、ということみたいですね。

    紅茶ってもともと西洋で作られている歴史があるようにも思えますが、実際のところお茶というものは中国が長い歴史の末に確立した文化であり、それを貿易や戦争を経てイギリスが「紅茶」という独自のブランドに作り替えた、とも言えそうです。

    参考文献:『図説 英国紅茶の歴史』

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